『メモの魔法』を読んだ

毎日狂ったようにメモを書いている人が、メモについて語ってくれる本。人生訓や自己啓発的な語り口の内容が意外と多かった。

この辺の考え方は拾い上げておきたいと感じた。

  • 情報の記録それ自体は機械にとって変わられるべき仕事だと考えるが、これとは別の観点として、メモを取れる程度に高い集中力で情報の入力に臨むことは有益だ

  • 構造的にメモを取るように意識することで、情報を構造的に捉える必要性が発生するので、結果的に自身をそのような試みに導き、構造化能力や言語化能力を鍛えられる

  • 自己分析ができている者は重宝されやすい。メモを取ることで自己分析を大いに進められ、自身の価値を高められると共に、自己実現にも繋がりやすい

  • 強い願いを持つ者ほど大きな事を成しやすいが、人は生きていく中で願いを忘れてしまうので、書き留めておくことでそれを防ぎ、また何度も見返すことでそれを強められる

  • 協力者が多いほど事を成しやすい。言語化能力が高いほど共感を集めやすく、協力者が集まりやすい

  • 記憶に残らなかったものは重要ではなかったものだとする考え方は危うい。重要度の判定が情報を得た時点で済まされてしまうと、状況が変化しやすい社会で失敗しやすいためだ

  • 具体的な課題を抱えている状態でないと、情報を得てもそれをどう転用できるかということに思い至れないため、常日頃からその手の課題を抱えておくべきだ

解くべき課題が無いと成長できないという構造は、大きさや形を変えながら、至る所に登場する。メモを書くことで能力が鍛えられるという話は、実益も兼ねた仮想的な課題を用意することで成長を促すような、矯正ギプスやエミュレーターを使った訓練に近いやり方のようにも感じられた。

例を挙げると、マクロな話では「いま困っているこの問題を解決できそうな話がこの勉強会で発表されるらしいぞ」と考えて参加するのか、「何か面白そうな話ないかな」と考えて参加するのかだと、経験的には結果に大いに差があるので、課題を引き出しに入れておくのも重要。ミクロな話では、自分に説明できるように解釈を試みながら話を聴くか、なんとなく聴いて面白かったねで済ますかだと、また違いが出てくるといった具合。

全ての物事に同じようにメモを取る姿勢を見せていくべきかと言われると、些か懐疑的ではある。一方、全ての物事に適用できないから何にも適用しないというのも、これもまた違うだろう。一般的に何が不足しがちかと言う傾きの話だとは思うが、書籍内ではこの辺の塩梅やバランスについては語られず、単純にメモ全推しの話で、その辺りには一種の危うさを感じた。

似た構造の話として、例えばLearn In Publicに対するHow To Learn In Privateという記事の中で、”Learn in Public” とは言ってみたものの、100%をPublicにしろという話ではないし、多くの人は0% Publicがデフォルトなのだから、それを数% Publicにするようなことを言っているだけなのだと語られている。また、目標を決めて取り組むと成果が得られやすいとは言うものの、あらゆる物事に目標を決めて目標駆動で取り組むべきと言っている訳ではないとも言っている。今回のメモの話も、これに近い構造をしていると思う。こういうものに対して、適用すべき条件やパターンを注意深く掘り下げながら読んでいけると、より面白く読める。できれば書籍側で構築してほしい話ではあるが。