記事の単位

何らかのタイトルを持つ記事と日記の記事というのは微妙に性質が違うものだけど、どういう調子でこの違いを扱っていくかというのは、記事という単位で文章を書いていくにあたって長年悩み続けている事柄の一つでもある。こういった個人サイトだけの話題に留まらず、企業内の情報共有サービスを管理するにあたっても、この辺についてしっかりとした回答を持っていないと、ストック型かフロー型かという話を展開していく中で、じゃあ例えば日報はどういう位置付けで行くんだ、という話で困ったりもする。

このサイトではどういう調子で進行しているかというと、基本的に最近は、特定のタイトルを付けて記事を書くように心がけてはいる。そのように記事化できた方が、情報の再利用性が高く、記事の価値が高まると考えているため。ただし、とにかく何でも書きたい期みたいなものがたまに発生したり、容易に名前を付けられないが価値のある情報があったりもするので、そういうときは日記という形で何か書いたりする。そういう形で文章を書くのは "勿体ない" とか "仕方ない" という認識で進行しているところはあるかもしれない。適当な単位で記事を書いてタイトルを付けて公開するという行為は、日々の業務で書いているプログラムの一部を適当な単位でOSSとして公開する、という行為に少し似たところがあると感じている。

しかし別に、日記と非日記について上下関係があるように捉えている訳ではない。むしろ日記のほうが、書き手がその内面と向き合っており、尊いものであろうと考えている節もある。それに、日記というスタイルが無ければ世に出ないまま終わったであろう情報もある訳だし。日記では低レイヤーな情報が吐き出されていて、非日記ではパッケージングされた形で高レイヤーな情報が吐き出されている、というモデルが自分の認識に近いと思う。