本文の無い記事

コメントで議論をするために立てられた記事が良いという話について。この一文でだいたい言いたいことは伝え終わっているので、これ以降の文章は特に読む必要ないやつです。

利用者が記事を投稿して情報を共有するようなサービスって、基本的には情報を持っている利用者がその内容を本文に書いて投稿して、意見がある人はコメントを付ける、という使い方が一般的だと思う。

しかし最近、コメントを書いてもらうための (ほぼ内容の無い) 記事を投稿して意見を募る、という使い方をしている人をよく見るようになってきた。記事というよりは、トピックという感じが近いですね。最初に「立てられた」記事と書いたのも、トピックやスレッドを立てるというニュアンスの方が近い感じがしたからである。

これはとても良い使い方だと思うし、こういう使い方をきちんと受け止められるコミュニティや、そういう雰囲気を醸成するコミュニティづくりまで含めて、とても良いと思った。日本のコミュニティよりも、どちらかと言うと英語圏のコミュニティに多い慣習のように感じる。恐らく昔から行われている行為だと思うけど、変化が激しく定石のさだまらない分野に身を置くようになった結果、自分の観測範囲がそういう文化圏に近付いたのだと思う。

例を挙げておくと、たとえばプログラミングのコミュニティであれば「最初に学ぶプログラミング言語としてあなたが好ましいと考えているのはどの言語?」とか、「事故を自ら発生させることでテストを行う手法についてどう思う?」とか、そういう感じである。

こういった、明らかに正しい回答や、普遍的な事実や、はっきりとした検証結果、しっかりとまとまった考えというものがないような事柄について、もっと情報が共有されるべきなんじゃないかと思っていたので、例えば今回の話のようにコメントを積極的に募れるような場をつくっていくとか、自分がよくやっている活動で言えば地道に Podcast をやるとか、そういう活動を通して、柔らかい情報を語る機会を積極的に増やしていきたい。