感がある

最近読んだ何かの本に、デザインとは何であるか、についてデザイナーが一家言述べるコーナーがあった。朧気ながら、次のような論旨だった。即ち、物事を文字通り物と事に分けたとき、これまでデザインと呼ばれていたものは大抵物に対する行為だった。それが最近になって、デザインは事に対する行為としても解釈してもいいだろうという捉え方が流行ってきている。そのような前置きはさておき、物事は、放っておくとひとりでに無秩序で混沌とした状態へと発散していくものである。そこに秩序をもたらすために努力する行為がデザインである。

便利な解釈だと思ったので記憶に留まってる。この解釈で言えば、誰しもに同じ感想を持ってもらえるように文章を書く行為もそうかもしれない。かもしれない、思う、気がする、感がある。こういう言葉を出すのも、処世術的なそれの一つかもしれない。開けた場所では、周囲からいつありがたい言葉が飛んでるか分からない。全てのそれがそれではないし、常にそれイコールそれではない。そういう緊張状態の中で長く生き残ったと考えると面白い。言っていることが正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。そのように曖昧な状態であること自体は正しい。故にそれらは間違わない。何も言っていないのと同じかと言えば、そういう訳でもない。受け取りたくない人には無視しやすく、受け取りたい人には受け取りやすい。近づきすぎて軋轢が生じることを防ぎながら、互いにそこそこ牽制しつつ、適当な距離を保って進んでいく。