『IA100』読んだ

IA100 ?ユーザーエクスペリエンスデザインのための情報アーキテクチャ設計

特におすすめできないけど、読んでるときの想像は面白かった。以下は途中に残したメモを構成したもの。

インターネットの街並み

Webサイトはそれ単体で存在している訳ではなく、インターネットの一要素である、という捉え方がある。こういう考え方はこれまで特になかった。企業内のサイト同士が協調する例は分かるけど、ほとんど関係のない多種多様なWebサイトを「街並み」のように俯瞰して眺めたことは無かった。90年代に入居者が相次いだ住宅街などを見ていると、それぞれの家屋がバラバラのデザインをしており、一つ一つの家屋はよく出来ていても街並みとしては歪な様相を呈しているものがたまにある。個々のWebサイトが有機的に繋がり合って、群として捉えたときにもどこか良く感じるような、そういう状態になっていると確かに良いと思う。インターネット初期のWebサイト群を振り返ってみると、そういう良さがあったかもしれない。

変化の速度に適応する

Webサイトなどにおいて、変化の遅い部分と変化の速い部分を分けて考える、というのが苦手。具体的には、変化する or 変化しない の二択で考えているところがある。例えば投稿のカテゴリ分けなんてものは、最初変化しないだろうと思って決め打ちしていても、投稿量が増えていくにしたがってゆっくりと変化していくことが多い。この「極端に変化が遅いが次第に変化していくもの」を捉えきれていないという感覚がある。

本書で言われているのは、変化の遅いところにはタクソノミーや意味論のような分類法を、変化の速いところにはフォークソノミーのような管理方法をあてはめると良い、というもの。例えば、投稿に対するタグ付けがフォークソノミーの代表的な例で、はてなブックマーク、ニコニコ動画、pixivのタグなどがその実例で、一方タクソノミーは図書分類法のようにツリー構造を取るものが、…よく考えたらこの辺の話は調べればもっといい説明が幾らでも出てくるので、ここに書く理由は特に無さそう。最近話してる途中で飽きて急に話すのをやめることが多い気がする。

この話題に関して特に面白かった部分は、「時間発展していく系統樹の、あるタイミングでの断面が "分類" である」という捉え方の話。本書ではそこまでしか触れられていなかったけど、確か一昨年の情報処理学会誌で『CGMの現在と未来』という特集があって (表紙に初音ミクが載っていたやつ)、そこの記事に「ユーザによって付けられたタグはある意味で量子論的である」といった感じの話があった。あるタイミングでの断面、いわば瞬間芸的な価値がそこにあるというもの。いま探したらAmazonで売られているようだった。

情報処理2012年05月号別刷「《特集》CGMの現在と未来: 初音ミク,ニコニコ動画,ピアプロの切り拓いた世界」

分類法や時間的変化、利用者参加型の設計プロセスあたりについては面白いと思う一方、よく分かっていないところが多い。変化の速い部分が変化の遅い部分に影響を与えるような設計について、特に実例としてどういうものがあるのかが気になる。パターン・ランゲージとか、Wiki、XP辺りの界隈にその辺の話題が転がっていたりするかもしれないので、その辺も見てみたい気がする。最近の心境の変化として、機械的な側面を持ちながら、生物のように環境に適応してグニャグニャ変形するものが好きになってきたかもしれない。