すごいHaskellたのしく学ぼう
リビングに置いてあったふつうのHaskellプログラミングを読み終えたので、同居人が持っていた「すごいHaskellたのしく学ぼう!」を読むことにした。この本は確か前職で輪読会をやっていて、そのときは興味が持てなくて参加しなかった。今この時点で初めて興味を持てているのだから、この貴重な気持ちを精々壊さないように扱わないといけない。
ごくたまに、いまこの瞬間自分が何もしていないことにひたすらに恐怖を感じるときがある。小学校に入ったぐらいのときからあって、最初はこれが制御できず、夜に起きては怖い怖いと親に泣きついたりしていたのを朧気に覚えている。「自分はこういう人間で、こういう考えを持っており、こういう気持ちに怯えている」ということはまさか当時の自分では説明しようがないから、とにかく怖いのだという主張しかできなかった。
10歳頃になると、抱えきれなくなった自分の気持ちを誰かに吐露するということはなくなったけれど、代わりに自分の中で抑え込むのに苦労した。死んだらこの精神はどうなるのだろうなあということを真面目に考えると段々怖くなってくると思うけれど、そういう類の感情だったのだろうと思う。昔はそういう気持ちを抑え込むためにTVゲームに没頭したりしていたけれど、中学生の後半頃になると、捌け口が勉強に移るようになった。怖いので高校の受験勉強をしたり、問題集を解いたりという具合に。まあ、毎日ガリガリと勉強していたというわけではなくて、年に数度あるかないかというぐらいのものだった。一度組み上げたら崩れないという類のものであれば何でも良くて、たまたま勉強という行為は生活していく上でも効率が良かったのだろう。
振り返ってみると、実際こういう気持ちがなければここまでやってこれなかったことに疑いはない訳だから、これは人間が生きるための力なのだろうなあと思う。今でもたまに恐怖心が湧くことがあるけれど、ははあよく出来ているなあと感心しつつ、まあ本能には抗えないのだから付き合ってやるかと諦めつつ、残りの部分でああ恐ろしいと感じてHaskellを学んだりしている。